「“相続放棄したはずの弟”が実は放棄しておらず、 すべてをやり直しになったケース――期限・手続き・認識のズレがもたらす典型的トラブル」
2025/11/30
相続相談の中で、一定数あるのが
「相続放棄したと思っていた家族が、実際には相続放棄していなかった」
というケースです。
これは珍しいようでいて、実務では決してレアではありません。
- 「本人は“放棄したつもり”だけど、家庭裁判所に提出していない」
- 「書面にサインしただけで手続きした気になっている」
- 「放棄は“話し合い”で可能と思い込んでいる」
- 「保管していた封筒が実は申述書の“下書き”だった」
こうした“思い込みの放棄”は、実務の現場では定期的に起こるトラブルです。
今回は、まさにその典型パターンでした。
■1.状況:弟は「放棄した」と主張、兄夫婦はそれを信じて遺産分割を進めていた
相談に来られたのは、船橋市に住む E さん(長男)。
亡くなった父の遺産整理を、母と二人で進めていました。
父の遺産は、
- 預貯金:約1,200万円
- 持ち家(評価額1,500万円)
- 自動車
- わずかな有価証券
と、ごく平均的でした。
問題は 弟の F さん(次男・別居)。
父が亡くなった直後、電話で
「俺は放棄する。迷惑かけたくないから、全部そっちで処理してくれ」
と言っていたため、母と E さんはその言葉を信じ、
兄側だけで遺産分割案を作成し、金融機関の解約手続きまで着手していました。
しかし、ある金融機関に遺産整理の書類を提出したところ、担当者がこう言ったのです。
「相続人全員の戸籍を確認したところ、弟さんの相続放棄の証明書がありません。
家庭裁判所の受理番号をいただけますか?」
この瞬間、問題が顕在化しました。
■2.そもそも「相続放棄」は“口頭では成立しない”という大原則
法律上、相続放棄は家庭裁判所への申述によって初めて成立します。
つまり、
- 家族間の話し合い
- メール・LINE
- 手書きのメモ
- 申述書の書きかけ
- 弁護士への相談を“したつもり”
- 市役所に届けたつもり
これらは すべて相続放棄とは無関係 です。
家庭裁判所に
- 申述書を提出し
- 裁判所から「受理通知」が届き
- 受理日が記録される
これではじめて法的に「相続人ではなくなる」のです。
■3.今回の誤解の原因:弟が「書類を見ただけ」で“手続きした気になっていた”
E さんが弟に確認すると、F さんはこう答えました。
「だって、前にネットで相続放棄の書類を印刷して、必要事項を入力したし。
それを机の引き出しに入れて、確かポストに入れたと思った。
でも、受理されたかどうかまでは分からないし……」
詳しく聞いていくと、
- PDFで申述書をダウンロード
- 手書きで記入
- 封筒に入れた
- 「出したような気がする」
という曖昧な記憶しかない。
最終的に、家庭裁判所にも確認したところ、
申述の記録は一切なし。
つまり、F さんは
“やったつもりの相続放棄”であり、法的には完全な相続人のまま でした。
■4.すべてが振り出しに戻る:遺産分割協議書も無効
相続放棄が成立していない以上、
- 銀行での解約
- 兄側だけの遺産分割案
- 自動車の名義変更手続き
- 固定資産税の処理
- 不動産をそのまま相続する前提の計画
これらは すべて“無効または不備”扱い になります。
E さんはかなり落胆していました。
「銀行は全部書類を作り直し。
弟の戸籍も取り直し。
不動産の登記もできない。
手続きが一気に止まってしまった……」
ここからが、今回の相談の本質でした。
■5.当事務所が最初に行ったのは「相続放棄のリミット」の確認
相続放棄には原則として
●死亡を知った日から3か月以内(熟慮期間)
という厳しい期限があります。
F さんは父の死亡日を当然知っており、
すでに 3か月以上が経過していました。
つまり、このままでは相続放棄できません。
ここが今回の最大の問題点でした。
■6.打開策:熟慮期間の「伸長申立」を行う余地を検討
以下の条件を満たす場合、
家庭裁判所に対し“熟慮期間の伸長”を申請できる可能性 があります。
- 相続財産の全体像が不透明
- 財産調査が長引いていた
- 遺産の一部が複雑で判断できなかった
- 多重債務や保証関係があり、内容把握に時間を要した
- 兄側が手続きの中心を担っており、弟は実情を知らなかった
今回の場合、弟 F さんは
「財産の詳細を知らず、兄が全てやっていると思っていた」
という点を証明できる可能性がありました。
そこで当相談室では、次の手順を計画しました。
■7.解決プロセス(実務的ステップ)
STEP1:財産調査の詳細を時系列で整理
- 銀行照会の時期
- 不動産評価のタイミング
- 車両の名義状況
- 有価証券の情報解明
など、弟が正確に知らなかった事情をまとめる。
STEP2:弟の「情報不足」について理由書を作成
弟は相続財産の詳細を一切把握していなかったこと、
兄側も弟に詳細共有をしていなかったことを説明。
STEP3:家庭裁判所へ熟慮期間伸長の申立
- 申立書
- 理由書
- 財産調査の資料
- 戸籍
などを添付。
STEP4:裁判所の判断待ち
通常、数週間で判断が出ます。
STEP5:伸長が認められれば、正式な相続放棄へ進む
この段階で、F さんがようやく“法的に相続人でなくなる”。
■8.裁判所の判断:「熟慮期間の伸長」が認められた
家庭裁判所は次のように判断しました。
- 財産内容が兄側で一方的に進んでいた
- 弟は正確な内容を知らされていなかった
- 兄側は「放棄する」との言葉を信じていたが、法的には不十分
- 財産は比較的多く、調査に時間がかかっていた
結果、
熟慮期間の伸長(1か月) が認められました。
この1か月の間に、当相談室のサポートで
F さんは正式な相続放棄の申述を行い、裁判所から受理通知が届きました。
■9.その後の遺産分割は、スムーズに再スタート
正式に弟の相続放棄が成立したため、
- 遺産分割協議書を作成し直す
- 銀行手続きも再提出
- 不動産は母と兄で相続する形
- 車は兄が単独で取得
- 税務申告もスムーズに進む
と、手続きはすべて正常化しました。
E さんは、
「最初にあなたのところに相談していれば、こんな混乱は起きなかったでしょうね……」
とおっしゃっていたのが印象的でした。
■10.今回の教訓:相続放棄で“思い込み”は致命的
今回のケースから得られる教訓は非常に明確です。
◆① 相続放棄は“家庭裁判所の受理”が絶対条件
これ以外は全て“放棄したつもり”。
◆② 相続放棄をしたと言っている人には、必ず「受理通知」の有無を確認
- 受理番号
- 受理日
- 申述先の裁判所
これらが確認できなければ、放棄していないと考えるべきです。
◆③ 3か月の熟慮期間は非常に短い
特に別居している兄弟が関与していない場合は要注意。
◆④ 伸長申立は“事実の整理”次第で通る
- 財産内容が複雑
- 情報共有が不足
- 遺産の把握に時間を要した
こうした事情があれば、救済される余地はあります。
◆⑤ 兄弟関係が悪化する前に専門家の介入が効果的
本件も、第三者が間に入らなければ
兄弟の誤解は一生残っていたはずです。
■まとめ
今回のケースは、一般的な家庭でも十分に起こりうる
「放棄したつもり」によるトラブルでした。
- 兄は弟が放棄したと信じていた
- 弟は“やったつもり”だった
- 実際には何も成立していなかった
- 手続きが全面的に止まった
- 専門家が整理して、伸長申立で救済
- 最終的には正しい形で解決
という、典型的でありながら実務性の高い事例です。
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つだぬま相続相談室 行政書士 江川二朗
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